私達は四六時中文字に囲まれ、文字に頼り、文字を操り生活している。自分の周辺を見渡せば限りなく目に飛び込んでくる文字に一部には何かを感じて、一部では全く何も感じずにただ通りすぎていく。文字は無差別に情報を吐き出し続け、意識のある受け手には情報を、意識のない受け手には無に変化し、その文字の変換方法を知らない受け手にはパターンや記号として存在する。受け手も変化し、文字も変化を繰り替えして存在している。
「絶影漢字」とは私のフォントという形を借りた漢字に対する解釈であり、「絶影書体」とはあらゆる文字・書体に対する機能の側面にある文字自体の形状の解釈である。文字機能への著しい踏み込んだ解釈により、それらが損なわれたとしても大きな意味を持つ問題ではない。意味や理由を考える前に視覚で感じ、身体で感じるべきである。そして脳で変換するのである。
絶影は単なるデジタルフォントの一書体ではなく、漢字あるいは世界に存在する全ての文字自身のフォーマットになり得るまでに進化を遂げるべく一歩を踏み出している。我々にとって文字とは自らを雄弁に語る言葉である。
貴方はワープロで文章を打つときやHPのタイトルで使用する書体についてよく悩みますか?勿論、案内状や注意書きなど不特定多数に垂れ流す情報には、相応しい書体というものがあるでしょう。可読性に優れ、普遍的で、機能的な書体でしょう。しかし、私達には自分の考えを訴え、何かを伝えなくてはいけない場面がよくあります。手書きの文字には文字情報以外の多くの個人的情報が溢れています。デジタルフォントの使用は、その個人情報の多くを無くすことにより、普遍性を手に入れたのです。コンピュータでの文字入力が全盛の今、今まで手書きであった部分をそのような書体に置換することはできない。デジタル入力時代には手書きに代わる自分の文字。つまり自分自身唯一の文字が必要なのである。
ブ厚い装甲を脱ぎ捨てて街へ出よう。
夏衣だけを身に着けて、
君の夏衣は君に相応しいのか?
君の胸には何て書いてあるんだ?
君の背中は何を訴えるのか。
無関係な貴方との図案。
何を着て街へでるか、
貴方の夏衣を手に入れろ。
「絶影夏衣 id2」限定生産(B級)
日をおうごとに、私は失いつつあるのだろうか。体力、知識、経験や想像力などの資源を。夜な夜なそれらを消費して文字を書く。まさに書字エンジン
私たちは現代社会に存在する無臭の冷たい都市から飛び出さねばならない。それは自分自身の中に都市を築くことである。まるで若者が純粋に憧れ希望を持って向かってゆく光り輝く都市を。そして外見だけ華やかな都市でなく、調和と均整のとれた都市に発展させるのである。その輝きは他人にも憧れを呼び起こし、また彼にも心に都市を築くきっかけに成り得るのである。都市は都市と結ばれ、交流を持ち、お互い競い、更に都市を拡大するのである。輝ける都市は何処からでも築き始めることが出来るのである。
と言われたので築きました。
→City organs/B2/ポスター
東京は駅の名前だけで区切られているわけではないのです。全ての土地には名前があり、名前のない土地などないのです。それは便宜上の区分かもしれませんが、確かに以前その場所でその何由来するような出来事や人が存在したのです。
PCやワープロで文章を作成する機会が増えてきた昨今、クリックひとつで様々な書体を選ぶことができる「デジタルフォント」は非常に便利なものです。しかし欠点もあります。それはPC上でしか使用することができないということです。手紙を書くにしてもまずはPC起動し、ワープロで作成した上でプリンタ出力という出順をふまなくてはいけません。
私たちは多くの時間、PCと離れて生活している場合の方が多いのです。そんな人生の大部分の時間にも、このような便利なフォントを使用できればと思わないでしょうか?もちろん温かみのある手書きも大切ですが、整然とした美しいフォントは時と場合によっては必要になるものなのです。 他の場合を考えて見ましょう。例えば「停電でPCが起動できない」、「パソコンのパの字も知らない」、「旅先で手ぶらだ」、「会議中で予断を許さない」、他にも「うちのPCに素敵なフォントが入っていない」など様々な場面が想像できます。
そんなとき、こんなフォントはいかがでしょうか?身近にある四角いものを探してください。角砂糖でもサイコロ、CDケースや百科事典でも。あとは積むだけなのです。これで私たちはPCという呪縛から解き放たれ、どんな場所でも自由に「このフォント」を使用することができるのです。授業中だろうが、会議中だろうが、散歩中だろうが、無人島だろが、逃走中だろうが、いつもよりちょっとだけ「立方体」をポケットに忍ばせるだけなのです。もちろん現地調達でも構いません。
「Build the word / anywhere you like」
→「build the word」の詳細 (PDF/36KB)
はじめて彼と出会ったのは、私がよく訪れる川辺の散歩道でした。彼は泰國よりの留学生で2年前から私の家の対面のマンションに住んでいたそうです。私は毎週水曜日にこの川辺で絵を描いており、たまたま彼が通りかかり私の絵を気に入り彼オリジナルの詩集と交換したことがきっかけでした。私は泰國語を話せず、彼もまた日本語はほとんど話せませんでしたが、身振り手振り、アイコンタクト、イラストでなんとか交流していました。その場で二人は意気投合して飲み屋を2軒はしごして、その勢いで3泊4日の熱海旅行まで成し遂げてしまったのです。その後も何度ともなく誘い誘われ、楽しい時間をすごしました。
翌日、彼は卒業とともに帰国することになりました。私は少し悲しくなりましたが、しかたがありません。帰国の日、私は成田まで見送りに行くことにしました。彼に別れを告げ再会を約束し、彼は去ってゆきました。そのとき私は叫んだのです。泰國語で「さよなら」と、彼はちょっと驚いたようでしたが、すぐにいっぱいの笑顔でになりました。
なぜ日本語もおぼつかない私が泰國語を操れたって?それは昨晩熱海で「泰國語講座」(400円)を読んだからさ。
国民の文字意識の低下と文字の氾濫した現状を受けて国でも文字書記を規制し書記自体を免許制にすることを決定した。これにより普通文字書記免許制が導入され書記や書字に国家的な免許が必要となる。学校教育現場や個人的な書字はこの規制の限りではないのであるが、企業内での書字や公共機関内や屋外での書記は免許の取得と携帯が必要となる。無免許による書字や免許非携帯時の書記は文字意識の矯正のため隔離施設にて再教育が行われると言う。
この普通文字書記免許は十六歳から取得することができ、取得のための難易度は低めに設定されている。しかしながら普通文字書記免許で書字できる漢字の範囲は常用漢字内のみという制約があり、それ以外の漢字や旧字などを含む文章を書記する為には拡張文字書記免許が必要である。また英語以外の外国文字を書記する際には各国の主催する文字書記免許試験に合格し免許を手に入れなくてはならないのである。
現代日本文字世界は文字資格至上主義といってもいい状態であり、取得文字免許の種類によって職業、結婚など様々な場所で差別的な扱いを受けるといったとらぶるを多発している。国ではこのような文字差別に対して黙認する姿勢を見せており、更に文字差別が拡大すると思われる。
その様な現状の中、文字資格を神格化する社会に嫌気を感じた一部の自由文字主義者たちは免許取得を拒否し、法律で規制されている壁面への文字書記をもって抗議活動を行っている。国では更に細かな文字に関する規制の色を強める様子であり、将来的には個人的な文字書記を含め、学校文字教育現場においても等級制を用いることにより学生時点での文字による優劣の分類を行うべく法案の具体案を作成中との事である。国は文字を規制することにより国家による新たなる文字体制を確立しようと画策し、民衆から文字の自由を奪い去ることにより文字による支配価値を高め、民衆化した文字世界を国家主導による体制を確立しようとしているのである。
このような日本文字世界の危機の中でも一部の自由文字主義者を除いては表立った反対や抗議の活動は見られず、改めて文字意識の著しい低下が浮き彫りとなった。文字書記や書字は近代国家における民衆の不可侵の権利であり、その権利への無関心はそのまま自分自身への無関心へとつながるであろう。
都市はあらゆる人工的なものに溢れ、人々は絶え間なく往来し、情報は空間越えて飛び交い、都市自体もめまぐるしく変化を繰り返しています。今まであった建物が囲われ、気が付いたときには更地になり、ある日突然全く違う建物が存在しているということは日常茶飯事です。不思議なことに私たちは大した違和感も感じず、まるで昔からあったと錯覚してしまうこともあります。都市はあらゆる物を飲み込んで肥大してゆく生き物のようです。
この冊子の写真は都市の断片を集め再構成されたものです。違和感や嫌悪感、虚無感を感じることがあるかもしれません。しかし、あらゆる建物の要素が並び重なり合う私たちの都市そのものと言えるのではないでしょうか。感じた違和感は私たちが住む都市そのものに対するものなのではないでしょうか?
その書体で組まれた文章は、全然美しくないかもしれない。その書体で組まれた文章は、全然読めないかもしれない。
PC等のデジタル入力機器が新たな筆記具として機能しつつある現在。リスト内の数種類の中から選択される書体は確かに機能的で読みやすく、大多数にとってその限られた選択は大した問題ではないかもしれない。しかし、言葉を書き記すことは単純に情報を伝えるだけではないと思います。手書き文字に含まれる文字としての機能を除いた非合理的で無駄な情報にこそ、文書に含まれる感情を補足するものがあるのではないでしょうか。デジタル入力時代にはデジタル入力時代の新たな自分自身の筆記文字(書体)が必要なのではないでしょうか。そんな尖兵としてのZETUEI FONTSの書体を一覧できる冊子です。
絶影機関誌鼎國画報です。毎号閃きを(思いつき)大切にした特集内容で発刊の存在意義が問われています。読めないものを甘んじて受け止めるのか。読めないものを拒絶するのか。読めないものを無視するのか。読めないものを読もうとするのか。普通に読むのか。対応する姿勢はひとつではないのです。とりあえず広告も募集中です。
新聞だけあってやはり、通勤の車内でがばっと開いて読んでいただきたくそれなりのサイズにしてみました。これなら左右の人に迷惑をかけつつ読んだり、お弁当を包むのにつかったり、花見の席でのマジックで牛乳を流し込んだり、ペンキを塗るとき下に引いたり、そのまま廃品回収に紛れこませたりと、使用方法は無限に考え付きますね。
素敵な使用方法を思いついた方には必要分贈呈しますので遠慮なく申し出てください(残部希少・要結果レポート)。とりあえず広告も募集中です。